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ダーウィンの日記1833年9月19日 [ダーウィンの日記(II)]

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ダーウィンの日記(内陸旅行; バイア・ブランカからブエノス・アイレスへ)

[日記仮訳]

(1833年9月)19日(バイア・ブランカを出発して12日目; 第18番目の駐屯所まで; ブエノス・アイレス到着の前日)

ここ[グァルディア・デル・モンテ(現在のサン・ミゲル・デル・モンテ)]はすてきな家が散在した小さな町で、モモやマルメロがいっぱいある庭が多い。この辺の野原はブエノス・アイレスのまわりのそれと同じように見える。芝草は短くて緑である(ウシが食べて伸びるからであろうか)、クローバーが多く、アザミの花床、そしてビスカチャの穴もある。

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画像出典:http://www.panoramio.com/photo/9986241

[日記仮訳(続)]

私はここで植物学者がスペイン人によって持ち込まれたとする2種類の植物をはじめて見つけた[注]。 まずウイキョウで、それはすべての生け垣の列に最大の豊富さで生育している。もうひとつは、特にバンダ・オリエンタル[ウルグアイ]で膨大な量で何リーグにもわたり地を覆い人も獣も通れないほどになっているアザミのように見える植物だ。これはマルドナド近くの人のほとんど行かない場所、ロサリオの近くの谷、エントレ・リオス等々にもある。ウルグアイ河とモンテ・ビデオの間の土地はこれで埋められている。植物学者はそれはありふれたアーティチョークが野生化したものであると言う。ウルグアイ河べりのある知性のある農民が私に語ったところでは、放棄されたある庭で植えられていたアーティチョークがこの植物になっていたのを見たと言う。もちろんこの者は植物学者の説を全く聞いたことがないのであるが。私はそれをサラド河の南ではまったく見なかった。
[注] 本文を読めばわかるように、ウイキョウとアーティチョークの野生化したもの。今で言う外来種ということであろう。

真のアザミ(緑と白とでまだらでノゲシと呼ばれているものに似ている)は主にブエノス・アイレスのパンパに豊富なのだが、それは私はサウセ河[注]の谷で見つけた。
[注] Sauce Grande。ダーウィンはこの内陸旅行において、バイア・ブランカを出てすぐに、この河沿いの駐屯地を基点にしてシエラ・デ・ラ・ベンタナの一画に登りに行った。

[参考画像] 現在のサラド河南方の植生の様子の一部..
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画像出典:http://www.panoramio.com/photo/3075881

[日記仮訳(続)]

とても大きな真水の湖が町の近くにあり[注]、その岸辺で私はメガテリウムの一例となる完全な一件[の化石]を見つけた[*注]
[注] 下の画像1、画像2、および地図を参照。
[*注] 画像3参照。


詰め所の長がウマを呼びにやっている間、多くの人が軍に関して私に聞いてきた。私はここでのロサスへの熱狂、またこのいわゆる "野蛮人に対するものであるがゆえに最も正しい戦争" とされるものへの熱狂ほどのものを見た事がない。だが、それは十分自然な事ではある。ロサスへの熱狂は広範囲のものであるし、後に言及される出来事が起きている時においては、私は驚くことは別にないのである。

第16、17、そして第18番目の詰め所まで、一様な外見の土地だ。豊かな緑の平原で、ウシ、ウマそしてヒツジが豊富で、そこかしこに孤立した牧場[Estancia]があってそれにはオンブの木がある。

夕方に豪雨となり、暗くなってから詰め所に着いた。もし通行証を持って旅行するならそこで泊まってよいが、そうでなければただ通り過ぎるようにと言われた。というのは、強盗が多いので誰も信じられないとのことだった。私のパスポートを読み、私がナトゥラリスタ[Naturalista(スペイン語);博物学者]であるということを見いだし、彼[詰め所の責任者]の尊敬と丁重さはそれ以前の疑惑と同じ程にも強まったのだった。ナトゥラリスタとはなんであるかについて彼も彼のまわりの者もまったく知らなかったのだが、私の肩書きがこのゆえにその価値を幾分かでも損なったかどうか、私は知らない。

[画像1]グァルディア・デル・モンテ(現在のサン・ミゲル・デル・モンテ)近くの湖..
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画像出典:http://www.panoramio.com/photo/4142054

[画像2] もうひとつの近くの湖..
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画像出典:http://www.panoramio.com/photo/9896248

[画像3] メガテリウムの化石のスケッチ..
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出典: encyclopaedia britannica

[地図]グァルディア・デル・モンテ(現在のサン・ミゲル・デル・モンテ)..

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[日記原文]
19th
This is a nice scattered little town, with many gardens full of peaches and quinces. — The camp here looked like that around B. Ayres. — the turf short & green (from the grazing & manuring by cattle?) with much clover, beds of thistles & Biscatcha holes. — I first noticed here two plants, which Botanists say have been introduced by the Spaniards. — Fennel which grows in the greatest abundance in all the hedge rows. — & a thistle looking plant which especially in Banda Oriental forms immense beds leagues in extent, & quite impenetrable by man or beast; it occurs in the most unfrequented places near Maldonado. — in the vallies near Rozario, in Entre Rios, &c &c. The whole country between the Uruguay & M. Video is choked up with it; yet Botanists say it is the common artichoke, run wild. — An intelligent farmer on the R. Uruguay told me that in a deserted garden he had seen the planted Artichokes degenerating into this plant. — Of course this man had never heard of the theories of Botanists. — I certainly never saw it South of R. Salado. — The true thistle, (variegated green & white like the sort called sow-thistles,) — & which chiefly abounds in the Pampas of Buenos Ayres, I noticed in the valley of the R. Sauce. — There is a very large fresh water Lake near the town, on the coast I found a perfect piece of the case of the Megatherium. — Whilst the postmaster sent for horses several people questioned me concerning the Army. — I never saw anything like the enthusiasm for Rosas & for the success of this "most just of all wars, because against Barbarians". — It is however natural enough, for even here neither man, woman, horse or cow was safe from the attacks of the Indians. The enthusiasm for Rosas was universal, & when some events which subsequently will be mentioned, happened, I was not at all surprised. —

To the 16th, 17th& 18th Posta. Country of one uniform appearance: rich green plain, abundance of cattle horses & sheep; here & there the solitary Estancia, with its Ombu tree. — In the evening torrents of rain, arrived after dark at the Posta; was told that if I travelled by the Post I might sleep there; if not I must pass on, for there were so many robbers about, he could trust nobody. — Upon reading my passport, & finding that I was a Naturalista, his respect & civility were as strong as his suspicions had been before. — What a Naturalista is, neither he or his countrymen had any idea; but I am not sure that my title loses any of its value from this cause. —

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["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記の1832年9月15日以降の記事です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (冒頭部;前書き)

タグ:化石発掘
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アヨアン・イゴカー

画像2の湖は、湖というよりは沼のようですね。草原が水浸しになったような。
by アヨアン・イゴカー (2008-12-14 11:07) 

さとふみ

スペイン語では"laguna"なので、辞書によれば「潟」という訳語もありえますが、実際には海からは遠い場所なので、小さい湖程度の意味にとっておけば良いのかと思います。
ダーウィンの原文では"Lake"となっています。
by さとふみ (2008-12-14 12:49) 

僕もくま私もくま

メガテリウムの化石のスケッチ
なんか怪獣みたいですごいですね。
by 僕もくま私もくま (2008-12-14 14:28) 

さとふみ

この挿絵はウィリアム・バックランド(William Buckland) という人の1836年に出版されたある書物に載っているもので、ダーウィンの見つけた化石のスケッチではありません。バランスにおいてやや誇張の多い表現になっているようにも思われます。
by さとふみ (2008-12-14 15:00) 

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