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ダーウィンの日記1834年11月29日と30日 [ダーウィンの日記(II)]

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カストロ周辺


ダーウィンの日記(チロエ; 東岸沿いにボートで南下; カストロ(チロエの旧首府)に到着)

[日記仮訳]

(1834年11月)29日と30日[この29日は1831年12月27日に英国プリマスを出発してから2年11ヶ月と2日後]

日曜日の午前中、私たちはカストロに着いた。ここはチロエの旧首府である。私は以前にはかくも真に寂びれた町を見た事がない。スペイン系の町に常に見られる四角格子の町並みはその痕跡を見る事が出来た。広場は綺麗な緑の芝生で覆われていてその上でヒツジが草を食(は)んでいた。

かの全権を握ったジェスイットの教団[注] が追放される直前に建てた教会は、とても絵画的である[*注] 。 それは、屋根までもが、全く厚板で出来ている。こんなにもじめついた気候の中で木造建築が半世紀も持つのは素晴らしい事であると思われる。
[注] 原文 "that all-powerful order of the Jesuits"。これはすなわちイェズス会のこと。
[*注] 余白に次の注記..
"ジェスイットの教会ではなく地方的なものである。"

私たちのボートの到着のようなことは、この静かな、世界との交流の少ない片隅においては、稀な出来事であった。住民のほとんど全員が海岸に来て私たちがテントを張るところを見ていた。彼等はとても礼儀正しく、私たちに家屋を提供してくれた。ひとりの男はリンゴ酒の樽を贈り物にくれた。

午後、私たちは知事を表敬訪問した。彼は物静かな老人で、その外見と生活の様式は英国の小屋住み農民よりはかろうじて勝るものであった。

私はそれからウマで出かけ、近くの地質を調べた。 野は町の背後である程度の標高になっていて、部分的に耕作されており心地よい景観であった。

夜、雨が振り出した。それでも輪になっている傍観者たちを立ち去らせるに十分とまではほとんど言えなかった。

あるインディアンの家族が、彼等はケイレン[注]からカヌーで交易に来ていたのだが、私たちの近くで露営していた。強い雨の間も彼等には遮蔽物がなかった。朝になって、私はずぶ濡れになっていた若いインディアンに夜間どうだったかと尋ねたのだが、彼は全く平然としていて、"元気です"[*注] と答えた。
[注] 原文"Caylen"。チロエ島南東部にある"Queilen(ケイレン)"のことであろう。カストロから直線距離で52km程。
[*注] 原文 "Muy bien Signor[sic]"。


[地図] カストロ(チロエ島)..

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[日記原文]
29th & 30th
We reached on the Sunday morning Castro, the ancient capital of Chiloe. — I never saw before so truly a deserted city. — The usual quadrangular arrangement of Spanish towns was to be traced, but the streets & Plaza were coated with fine green turf on which Sheep were browzing[sic]. — A church, built by that all-powerful order of the Jesuits shortly before their expulsion, is highly picturesque; (Note in margin: It is not the Jesuits Church but the Parochial one.) it is entirely built of plank, even to the roof: it seems wonderful that wood should last for half a century in so wet a climate. — The arrival of our boats was a rare event in this quiet retired corner of the world, nearly all the inhabitants came to the beach to see us pitch our tents. They were very civil & offered us a house; & one man even sent us a cask of cyder as a present. — In the afternoon we paid our respects to the Governor; a quiet old man, who in his appearance & manner of life was scarcely superior to an English cottager — I afterwards went out riding, to examine the geology of the neighbourhead. — The country rises to some height behind the town, it is partly cultivated & pleasant looking. — At night rain commenced, which was hardly sufficient to drive away from the tents the large circle of lookers on. — An Indian family, who had come to trade in a canoe from Caylen[sic], bivouacked near us: & they had no shelter during the heavy rain: in the morning I asked a young Indian, who was wet to the skin, how he passed the night; — he seemed perfectly content & answered "Muy bien Signor[sic]". —

["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記の1832年9月15日以降の記事です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として次のところにおいてあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (冒頭部;前書き)


冒頭画像の出典:http://www.panoramio.com/photo/11039549


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コメント 2

アマデウス

こんにちは~☆
英文中”It is not the Jesuits Church but the Parochial one”と
あるのは「教会ではなく教会より教区の狭い”Parish church"である」
と言及しているのではないでしょうか?
by アマデウス (2009-03-28 07:02) 

さとふみ

コメント、ありがとうございます。
ここでの解釈としては、ダーウィンが日記本文を書いた時にはこの教会がイェズス会(Jesuit)によって建てられたのだと思っていたのが、後にそうではなく地域的な努力によるものだということが分かり、その旨を余白部分に注記として記したのだと考えています。
by さとふみ (2009-03-28 08:07) 

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