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ダーウィンの日記1834年12月1日 [ダーウィンの日記(II)]

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レムイ島北部

<ダーウィンの日記(チロエ; 東岸沿いにボートで南下; レムイ島)

[日記仮訳]

(1834年)12月1日英国プリマスを出発して(1831年12月27日)から2年11ヶ月と4日の後

私たちはレムイ島に進んだ。 私は報告があった炭鉱を調べたいと切望していたのであったが、これはこの辺の島々を形づくる第三紀の砂岩の間にあるほとんど価値のない褐炭であることが分かった。

昼、私たちは多くの教会を通り過ぎたのだが、チロエ全体におけるこれらの数は注目すべきものである。2、3軒の家屋でも集まっていれば必ずその教会がある。

私たちがレムイに到着した時にはテントを張る場所を見つけるのがとても困難であった。大潮であったことと、満潮位の水の位置まで至る所樹木が生えていたからである。

私たちはやがてここに住んでいるほぼ純然たるインディアン[先住民] の大きな集団に取り囲まれた。彼等は私たちの到着にとても驚いていて、互いに話をしていたが、"これが自分たちが最近数多くのオウムを見た理由だ。チューカウ(奇妙な胸の赤い小さな鳥で、密林に棲み、かなり特異な鳴き声を発する)が '気をつけろ' と鳴いたのには理由があったのだ"と言っていた。

彼等はとても交易に熱心だった。 貨幣はほとんど価値を持たず、そのかわりタバコへの評価と熱望は全く異様とも言えた。タバコについでは、藍が次に評価され、それから唐辛子、古着と火薬ということになる。後者はまったく無邪気な目的に必要とされたのである。つまり、各々の教会区には公共のマスケット[銃]があり、火薬は聖人の日や祝祭日に音を出すために求められるのであった。

ここの人々は主に貝とジャガイモで暮らしている。また、ある特定の時期には彼らは、水中の"コラル[Corrales]"つまり囲いの中で、引き潮で泥の堆に取り残された魚を捕まえる。彼らはある場合には、家禽、ヒツジとヤギ、ブタ、ウマとウシを所有している。この述べられた順番はその頻度を表示している。ここの人々の振る舞いより好意的で謙遜なのを見たことがない。彼らはまず、自分らはもともとこの地に住んでいる貧しい者であり、スペイン人ではないというように口を開きはじめ、そして悲しいことにタバコや他の慰めにおいて欠乏している、という言い方をするのである。

ケイレンでは、それは最も南の島なのだが、私たちは3ペニー半の価値のタバコ1本で家禽を2羽(そのうちの1羽についてインディアンはその足指の間に皮があると言っていたがそれは立派なアヒルであった)を買った。そして3シリングの価値のある木綿のハンカチを何枚かで、3頭のヒツジとタマネギの大きな束を買った。 これらすべての購入は貨幣建てで行われ、1本のタバコは1シリングの価値評価がなされていてシリングの半ペニーに対する何割かが商人のこれらの島の住民との取引における利潤を示していた[注]
[注] 1971年以前の英国の通貨では1シリングは12ペニーに相当していた。ゆえに1シリングは半ペニー24単位分。

ヨール艇がここの岸から少し先に錨を下ろしていたので、夜間その安全性について不安があった。そこで、水先案内のダグラス氏がこの地域の警察に、私たちは常に装填した武器を持つ歩哨をたてているが彼らはスペイン語を解さない、もしこちらで暗闇に動く人物を見ればきっと撃つであろうと言った。警察署長はかなりへりくだってこの結果についての妥当性について同意して、私たちに夜間は誰もその家からむやみには外出しないことを約束した。

[地図] レムイ島..

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[日記原文]
December 1st
We steered for the Isd of Lemuy. — I was anxious to examine a reported coal mine, which turned out to be Lignite of little value in the tertiary Sandstones of which these Islands are composed. — During the day we passed many Chapels; the number of these all over Chiloe is remarkable; every collection even of a few houses has its Capella. When we reached Lemuy we had great difficulty in finding a place for the tents, owing to it being Spring tides & the land being universally wooded to the high water line. —

We were soon surrounded by a large group of the nearly pure Indian inhabitants. They were much surprised at our arrival & said one to the other, this is the reason we have seen so many Parrots lately; the Cheucau (an odd red-breasted little bird, which inhabits the thick forest & utters very peculiar noises) has not cried "beware" for nothing.— They were soon eager for barter. Money is scarcely worth anything, but their esteem & anxiety for tobacco was something quite extraordinary: after tobacco, indigo came next in value, then capsicum, old clothes & gunpowder; the latter article was required for a very innocent purpose; each parish has a public musket, & the gunpowder was wanted to make a noise on their Saint or Feast days. —

The people here live chiefly on shell-fish & potatoes; at certain seasons they catch also, in "Corrales"or hedges under water, many fish which are left as the tide falls dry on the mud-banks. — They occasionally possess fowls, sheep & goats, pigs, horses & cattle, the order in which they are mentioned expressing their frequency. — I never saw anything more obliging & humble than the manners of these people. — They generally begin with stating that they are poor natives of the place & not Spaniards & are in sad want of tobacco and other comforts.
At Caylen, the most Southern island, we bought with a stick of tobacco, of the value of three half-pennies, two fowls (one of which the Indian stated had skin between its toes & turned out to be a fine duck): & with some cotton handkerchiefs worth three shillings, we procured three sheep & a large bunch of onions. — All these purchases were transacted under the denomination of money; the stick of tobacco was valued at one shilling & the proportion of a shilling to the half-pennies expresses the profit of the traders with these Islanders.

The Yawl at this place was anchored some way from the shore & we had fears for her safety during the night. Our pilot, Mr Douglas, accordingly told the constable of the district that we always placed sentinels with loaded arms, & not understanding Spanish, if we saw any person in the dark, we should assuredly shoot him. The constable, with much humility, agreed to the propriety of this consequence & promised us that no one should stir out of his house during the night.

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["ダーウィンの日記(III)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.


冒頭画像の出典:http://www.panoramio.com/photo/6157069

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コメント 4

アヨアン・イゴカー

>タバコについでは、藍が次に評価され、それから唐辛子、古着と火薬ということになる
このような記録も、貨幣の意味を考える時、必要になってくるのでしょうね。
by アヨアン・イゴカー (2009-03-29 13:16) 

さとふみ

人類学的記録の一種ですね。
by さとふみ (2009-03-29 13:31) 

zenjimaru

これだけ貴重なタバコの栽培はされなかったのでしょうか?
また、普段どこでタバコを入手していたか知りたいものです
by zenjimaru (2009-04-06 17:54) 

さとふみ

吸える形になったタバコは捕鯨船やアザラシ猟の船が所持していて、彼等との交換が行われたと考えられます。
また、栽培する形でのタバコをわざわざ持ってきて導入しようとする誘因が外来の人々にはなかったのではないかと推測できます。
(これらはすべて推測の域を出ません。確認する機会があるかどうか..)
by さとふみ (2009-04-06 18:38) 

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