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ダーウィンの日記1834年12月23, 24日および28日 [ダーウィンの日記(II)]

ダーウィンの日記(チョノス諸島南方; トレス・モンテス半島)

[日記仮訳]

(1834年12月)23日

外洋に出たが、北寄りの風で天候が悪く、引き返し、別の入り江に錨を下ろした[注]
[注] フィッツロイ艦長(Capt.[当時はCommander] R.FitzRoy)の叙述によれば、錐山(前日分の画像参照)の見える大きな湾の南西部にある小さな入り江に移動したとあります。下の地図1参照。

24日

多数の溶岩や、その他火山性の生成物を見つけてとても興味深く思った。

[25日(クリスマス)から27日までの3日分の日付の日記はありません]

28日

天候が、かろうじて、私たちが[クリスマスを過ごした入り江から]走り出るのを許した。時間が迫って乗組員たちへの重圧となっている。それは継続的な疾風によって日々引き止められた時にはいつもの事なのだが。私たちのクリスマスの日は去年のポート・デザイアでのようには楽しいものではなかった。

海岸線の30から40海里が測量された。午後、私たちは優れた停泊地を見つけた。

投錨した直後、私たちはひとりの男がシャツを振っているのを見つけた。 ボートが送られて、2人の男を岸から連れてきた[注]。彼等は北アメリカの水夫であることが判明した。陸地から70海里のところでひどい扱いを受けていた船を逃亡した。 5名の乗り組み員と当直の士官1人の集団で、0時から4時までの当直[原文"middle watch"]の時に、一緒になって1週間分の食料を積んだボートを下ろした。彼等は海岸沿いにバルディビアに行くつもりであった[*注]。ボートは彼等が上陸してすぐに粉々になった。
[注] 下の地図2参照。フィッツロイ艦長の記している数値をそのまま用いていますが、長く続いた航海のこの段階でのクロノメーターの精度の問題などもあり、経度成分がやや西寄りにずれているかもしれません。
[*注]バルディビアはここからは400海里(たとえば那覇と長崎ほどの距離)以上離れていてしかも陸伝いは地形的にも複雑。


このことが起きたのは15ヶ月前のことである[注]。その時からこのあわれな者どもは海岸を南に行ったり北に行ったりで、どちらに行くかも知らなかったのである(彼等はチロエについて何も知らなかった)。 ちょうど彼等がいる時に私たちがたまたまこの停泊地を見つけたというのはなんと言う特別の幸運であろうか。この偶然がなかったら老人になるまでさまよった事であろうし、救助されるという事もなかっただろう。このことがこの前の停泊地でのベッドのことを説明する。それが使われたとき集団はばらばらになっていたのだ。今は彼等は一緒になり、続けてのボートで3人を岸から連れて来た。ひとりは[これ以前に]崖から落ちて死んでいた。私はボートに乗るこの者たちの顔に現れている不安といったほどのものを見た事がない。ボートが岸に着く前に彼等はほとんど水に飛び込まんばかりであった。 彼等は、多くのアザラシの肉と貝とで十分暮らせたので状態は良かった。
[注] フィッツロイ艦長(Capt. R.FitzRoy)は1833年の10月のこととしています。

夕方に、私たちは彼等のアシ[ヨシともいう]でできた小さな小屋を訪ねてみた。ここ2、3日で彼等は9頭のアザラシを獲っていて、その肉を細切れにし、焚き火の上に互い違いにわたされている木の枝の置いて、そうして保存していた。いくらかの衣類や、本が1冊(手垢がしっかりついた)、2丁の斧とナイフを彼等は持っていた。これらで彼等は2本の木をくりぬいてカヌーを作っていたが、どちらも役立っていなかった。 海岸沿いを進もうとした際の彼等の困難は恐るべきものであった。ある岬を越えようとしている時に一人が失われ、岬にたどり着くいくつかの湾では5日間彼等は歩かねばならなかった。最近では彼等はバルディビアに行こうとする企てを絶望のうちにあきらめていたようだ! 当然の事である。 彼等のひとつのなぐさめは薪が豊富だったことだ。彼等は2片の炭の間のわずかの火口と火打ち道具の火花とでなんとか火をおこす事が出来た。これを吹けば着火するに十分なのであった。 インディアン[注]はいない。
[注] 原文"Indians"。先住民。d

彼等が捕鯨船[注]で受けた扱いはそれほど悪いものとも思えない。だが、多分危険性についての無知から来るものだと思うが、そこでの治療法は絶望的に危険なものであった。
[注] フィッツロイ艦長によれば、彼等(アメリカ人水夫たち)が乗っていたのはフランスの捕鯨船だったとのこと。

私は、ビーグル号が彼等の生命を救う手段となった事を喜ぶ。彼等が経験してきた事を考慮すれば、彼等はかなり良く日数計算をしていたと思う。彼等は今日を28日ではなく24日だと思っている。

[地図1(フィッツロイ艦長の記した数値[西に偏りがあるか]をそのまま使用)] "クリスマス入り江"(23日から27日までの停泊地)..

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[地図2] フィッツロイ艦長が"救助地点"("Rescue Point")として記述している位置(航海のこの段階でのクロノメーターの精度の問題により西に偏った誤差があると思われ、このことは上掲の地図1にもあてはまります)..

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[天候] 1834年12月28日正午の天候:
西南西の風、風力4、青空、雲、気温摂氏10度、水温摂氏11.7度。

[日記原文]
23rd Stood out to sea, but bad weather coming on from the Northward, we ran back again & anchored in another cove.
24th I was here much interested by finding quantities of Lava & other Volcanic products. —

28th
At last the weather barely permitted us to run out; our time has hung heavy on our hands, as it always does when we are detained from day to day by successive gales of wind. — Our Christmas day was not such a merry one as we had last year at Port Desire. — Between 30 & 40 miles of coast was surveyed & in the afternoon we found an excellent harbor. — Directly after anchoring we saw a man waving a shirt. A boat was sent & brought two men off. — They turned out to be N. American seamen, who from bad treatment had run away from their vessel when 70 miles from the land. The party consisted of five men & the officer of the watch; who together in the middle watch had lowered a boat & taken a weeks provisions with them, thinking to go along the coast to Valdivia; The boat on their first landing had been dashed into pieces. —
This happened 15 months ago; since which time the poor wretches have been wandering up & down the coast, without knowing which way to go or where they were (they knew nothing of Chiloe). What a singular piece of good fortune our happening to discover this harbor at the very time they were in it. Excepting by this chance they might have wandered till they had been old men & probably would not have been picked up. — This explains the bed in the last harbor; the party had separated when this was used. — They were now all together & the boat subsequently brought off three more. — one man had fallen from a cliff & perished. — I never saw such anxiety as was pictured in the mens faces to get into the boat. — before she landed, they were nearly jumping into the water. They were in good condition, having plenty of seals-flesh which together with shell- fish had entirely supported them. —
In the evening we paid a visit to their little hut made of reeds; a few days since, they had killed nine seals; they cut the flesh into pieces & secured it on sticks which they place cross-wise over the fire & thus preserve it. — They had some few clothese, a book (well thumbed), 2 hatchets & knives; with these they had hollowed out two trees to make canoes, but neither answered. — The difficulties they encountered in trying to travel up the coast were dreadful; it was in passing a head- land the man was lost; some of the Bays gave them 5 days walking to reach the head. Latterly they appear to have given up in despair their attempt at reaching Valdivia! And well they might.— They had one comfort in having always plenty of firewood; they managed to make a fire by placing a bit of tinder with a spark from a steel & flint between two pieces of charcoal, & by blowing this was sufficient to ignite it. — There are no Indians. — Their treatment on board the Whaler does not appear to have been so very bad; but their remedy, probably from ignorance of the dangers, has been a most desperately perilous one. I am very glad the Beagle has been the means of saving their lives. — Considering what they have undergone, I think they have kept a very good tally of the time; they making this day to be the 24th instead of the 28th. —

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["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として何日分かずつまとめて次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (日記の冒頭部;前書き)

バナーの画像はビーグル号の人たちの1835年の測量で作成されたガラパゴス諸島の海図の一部


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コメント 4

アマデウス

Beagle号「人命救助の巻」ですね。それにしても15ヶ月程アザラシの肉
(焼くというより燻製にして保存したのでしょうね)と貝ですか。。。
by アマデウス (2009-04-05 06:46) 

さとふみ

ビーグル号による救助はこれで2度目ですね。この前のは1834年6月1日、マゼラン海峡内でのことです。それ以前にもフォークランド諸島で難破していた捕鯨船の3人を大陸のモンテビデオまで乗せていったりしています(1833年4月)。 もっとも今回の場合は、ビーグル号がたまたま測量でここに来なかったら救助の見込みはほとんどなかったわけで、それ以前の場合とは重大さが異なりますが。
by さとふみ (2009-04-06 08:11) 

zenjimaru

>そこでの治療法は絶望的に危険なものであった
この文章の意味が分かりません
by zenjimaru (2009-04-06 18:24) 

さとふみ

具体的なことは分かりませんが、かんがえられることは、病気が怪我に際しては迷信的な手法での治療法がとられていたということではないでしょうか。
by さとふみ (2009-04-06 18:32) 

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