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ダーウィンの日記1834年12月31日 [ダーウィンの日記(II)]

このページではダーウィンの日記の1834年12月31日の記事を扱います。1835年1月1日以降の分は私の次のブログのシリーズに掲載しています..
http://saltyvoyage.blog.so-net.ne.jp/1835-01-01 (この記事の翌日分)
http://saltyvoyage.blog.so-net.ne.jp/ (ダーウィンの日記[III]の最新ページ)
そちらの方もよろしくお願いいたします。
なお、この"だーうぃんのにっき(II)"は今後は原則としてこのままの形でアーカイヴとなり、新記事による更新はありません。


ダーウィンの日記(チョノス群島南方; トレス・モンテス半島)

[日記仮訳]

(1834年12月)31日[1831年12月27日に英国プリマスを出発してから3年と4日後]

朝食の後、一隊が最も高い所のひとつ、つまり2400フィート[732m]の高さのものに登った。情景はかなり並外れたものだった。この山域の主な部分は壮大な硬い切り立った花崗岩のかたまりで出来ていて、それは世界のまさしく最初からあるものであるかのように見える。花崗岩はスレート状の片麻岩をかぶっていて、これが時間の経過につれて奇妙な指の形をした尖塔に浸食されている。 これらふたつの地層は、その仕上げは異なっているが、植物がほとんどないという事では一緒である。この不毛は、暗緑色の木々の森がほとんど当たり前である景観に慣れている私らの眼には、より奇妙な外観を持っていた。

私はこれらの山地の構造を調べる事に多くの喜びを感じた。この複雑で高度のある地帯は永続というものの崇高性を帯びていた。そうではあるが、人間にとっても他の全ての動物にとっても、等しく無益ではある。 花崗岩は地質学者にとっては古典的な舞台だ。その存在の広範性と、その美しく緻密な肌理(きめ)により、これは他のほとんどの岩石よりも以前から認められている。 花崗岩は他のどの地層よりもその起源に関してより多くの議論を巻き起こしてきた。私たちはそれが一般に基本的な岩石である事を見て、そしてどのように形成されたのであれ、人間が突き入る事の出来る地球の地殻の最深の層であることを知っている。すべての学科での人間の知識の限界というものは、多分想像の域との密接な近さによって増大させられる高度の興味をもたらすものである。

地図表示におけるマップポインターについての一般的注意(2009年9月27日に付記): 緑色のマップポインターが筆者(ブログ作成者)の意図する地点を指しているものです。
2009年半ばからGoogle Mapsのソフトウェアの仕様が変化して、 ブログを書いた当初の筆者の意図に関わりなく"A"のマップポインターが自動的にその図において代表的な地点を示すものとして別の地点を指し示し、他方で筆者が意図する地点は緑色のマップポインターが示しているという形になってしまいました。この場合"A"の地点は一般には記事とは無関係なものとなっています。(ただし、たまたま"A"の地点と筆者の意図する地点がほぼ一致しているという場合もあります。)
ブログ記事アーカイヴにおいて気の付く限りマップポインターへの言及を現在修正しつつあります。まだ全てには手が回りかねますので、過去記事をお読みいただくときは地図表示のマップポインターに留意されたく思います。念のために繰り返しますと、まれに"A"のマップポインターがたまたま意図するものに一致する場合もありますが、原則としてのマップポインターが筆者の意図するものです。


[地図] この日から翌年1月5日までの停泊地 (Capt. R.FitzRoy; 緑色のマップポインター; マップポインター"A"は無関係)..

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[天候]1834年12月日正午の天候:
変わりやすい風、風力1、雲、全天曇り、気温摂氏15度、水温摂氏12.8度。

[日記原文]
31st
After breakfast the next morning, a party ascended one of the highest viz. 2400 ft. elevation. — The scenery was very remarkable; the chief part of the range is composed of grand solid abrupt masses of granite, which look as if they had been coeval with the very beginning of the world. — The granite is capped with slaty gneiss, & this in the lapse of ages of time has been worn into strange finger-shaped points. These two formations, thus differing in their outlines, agree in being almost destitute of vegetation; and this barrenness had to our eyes a more strange appearance, from being accustomed to the sight of an almost universal forest of dark green trees. I took much delight in examining the structure of these mountains. — The complicated & lofty ranges bore a noble aspect of durability — equally profitless however to man & to all other animals. Granite to the Geologist is a classic ground: from its wide-spread limits, its beautiful & compact texture, few rocks have been more anciently recognised. Granite has given rise perhaps to more discussion concerning its origin than any other formation. — We see it generally the fundamental rock, & however formed, we know it to be the deepest layer in the crust of this globe to which man is able to penetrate. — The limit of mans knowledge in every subject possesses a high interest, which is perhaps increased by its close neighbourhood to the realms of imagination.

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["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として何日分かずつまとめて次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (日記の冒頭部;前書き)

バナーの画像はビーグル号の人たちの1835年の測量で作成されたガラパゴス諸島の海図の一部



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アマデウス

1834年大晦日は地質学で締めくくりですね。
by アマデウス (2009-04-07 06:22) 

さとふみ

1835年1月1日以後の分は形式上別のブログということになりますが、またよろしくお願いします。
by さとふみ (2009-04-07 06:29) 

春分

後半あたりが、何とも難しい言い回しが続いていますね。
この頃は花崗岩の生成については定説がなかったのでしょうか。
by 春分 (2009-04-12 18:50) 

さとふみ

地質学について私は詳しくないのですが、知る範囲では、花崗岩の生成についてハットンが火成説を18世紀末に提出していて、後にライエルがこれを高く評価したとされています。ダーウィンはライエルに大きな影響を受けているので花崗岩生成については火成説寄りであったと考えて差し支えないと思うのですが、まだ定説とまではなっていなかったのでしょう。ダーウィンのここでの表現は仰せのように確かに難しい言い回しになっていますね。
by さとふみ (2009-04-12 19:09) 

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