SSブログ

ダーウィンの日記1834年9月5日 [ダーウィンの日記(II)]

ダーウィンの日記(チリ; 首都サンティアゴから南へ下る)

[日記仮訳]

(1834年)9月5日 [この直前の記事は8月28日付けのものです]

昼なかばには牛革で出来た有名な吊り橋のひとつを渡った。それらはひどいものでこわれた状態にある。道はメナイの吊り橋[注]のようには平坦でなく、吊り下げているロープの曲率に従っている。通り道の部分は棒の束(たば)で出来ていて孔がいっぱい開いている。1頭のウマを曵くひとりの人間の重みでも恐ろしいほど揺れるのである。
[注] 英国のウェールズにある吊り橋で、1826年に完成した近代的吊り橋の最初のものとされる。参考地図参照。

夕方、とても立派な農園[Hacienda]に到着した。そこには幾人もの美しい令嬢たちがいた。私が教会に入ってみたところ、彼女たちは敬虔な恐れを持って私をその魅力的な眼で見上げた。彼女たちは私に、"私たちの宗教の方が確かなのに"、なぜ私がキリスト教徒[注]にならないのかと尋ねた。私はそれに対し、自分は確かなところ一種のキリスト教徒なのだと言った。彼女等はそれを聞き入れず、私の言葉に抗議して、"あなたたちの神父様や、そして首教様さえも、結婚なさるのではないですか"、と言った。首教が妻を持つという不条理は彼女等に特に印象的だったので、彼女等はそのような非道さをおおいに面白がるべきかそれとも怖がるべきかということをほとんど知らないというわけであった。
[注] ローマ・カトリック教徒。

[地図] この日ダーウィンが(南へ)渡った川(マイポ川)..

View Larger Map

[参考地図]メナイの吊り橋の位置(英国)..

View Larger Map

[参考画像] 建てられた直後のメナイの吊り橋..
menai.gif
画像出典:http://www.anglesey-history.co.uk/places/bridges/

[日記原文]
September 5th
By the middle of the day, we crossed the one of the famous suspension bridges of Hide. — They are miserable affairs & much out of order, —the road is not level as at the Menai, but follows the curvature of the suspending ropes, —the road part is made of bundles of sticks & full of holes; the bridge oscillates rather fearfully with the weight of a man leading a horse. — In the evening we reached a very nice Hacienda; where there were several very pretty Signoritas; they turned up their charming eyes in pious horror at my having entered a Church to look about me; they asked me, why I did not become a Christian, "for our religion is certain"; I assured them I was a sort of Christian. They would not hear of it, appealing to my own words, "Do not your padres, your very bishops, marry" — The absurdity of a Bishop having a wife particularly struck them, they scarcely knew whether to be most amused or horrified at such an atrocity. —

cdarwin_s.jpg

["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として何日分かずつまとめて次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (日記の冒頭部;前書き)

バナーの画像はビーグル号の人たちの1835年の測量で作成されたガラパゴス諸島の海図の一部



nice!(16)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 16

コメント 2

春分

宗教関係で面白いというのも不適当かもしれませんが、面白いやりとりですね。
by 春分 (2009-03-21 19:22) 

さとふみ

ここではダーウィンは自分の個人的な宗教的立場を明示していないことに注目しておきたいと思います。上の会話の中ではダーウィン(英国人)は国教会への批判めいたことをローマ・カトリック教徒のセニョリータからぶつけられていますが、ダーウィンの育った家庭での宗教的環境は国教会とは異なりユニタリアンのものであったとされています。
by さとふみ (2009-03-21 19:42) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。