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ダーウィンの日記1834年9月19日から23日 [ダーウィンの日記(II)]

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ラペル河の河口 体調を崩したダーウィンが9月23日の日留まっていたナビダドの町はこの南


ダーウィンの日記(チリ;旅行)

[日記仮訳]

(1834年9月)19日[この直前の記事は9月14日付]

ヤキル[注]に別れを告げ、平らな谷間に沿った。その谷はキジョタと同様に形成されていて、そこにティンデリディカ川[*注]が流れている。わずかにサンティアゴの南方なのだが気候はかなり湿潤で、そのため特に灌漑のなされていない立派な牧草地が帯状になっていた。
[注] ダーウィンが4日間留まっていた鉱山の近傍の町。下の地図1参照。
[*注] ティンギリリカ川(Rio Tinguiririca)。


20日

この谷に沿ってそれが大きな平野に広がる所まで進んだ。その平野は海からランカグアの西の山脈まで到達している。やがて木々がなくなり茂みさえも見えなくなった。住民はパンパにおけるとほぼ同様に薪に不自由している。この平野でのことは聞いていなかったのでこのような土地にチリで出会った事にとても驚いた。これら平野を無数の大きな谷 が横切り、ひとかたまりの平野ではなくもっと数多くの平野に分かれている。これら全てはかつての海の存在とその後退を意味している。これらの谷の急峻な側面に大きな洞穴がいくつかあり、そのひとつは聖なる場所となっている。かつてはインディアンがその死者をそこに葬ったに違いない。というのは多くの遺骨が見つかっているからである。

この日私はとても気分が悪かった。そしてこれから10月の末まで回復しなかった。

21日[この日、英国を出発して1000日目]

ほんの短距離だけウマで進み、休まざるを得なかった。

22日

ラペル川の河口の南にあるナビダド[注]に至るまで木のない緑の平野を横切って進み続けた。これはパンパによく似ている。 昼、ヒツジの膨大な群れの所を通り過ぎた。それはウシよりよく繁殖しているようである。私たちは豊かな農園を見つけた。そこで海の近くの家屋に迎え入れられた。
[注] 原文"Navedad"。現在は"Navidad"と書く。バルパライソの南約110kmの海岸近くにある。下の地図2参照。ラペル河の河口については冒頭画像と地図2参照。

23日

ここに終日留まった。とても気分が悪かったのだが、ここの平野が出来ている第三紀の地層から多くの海産の動物の遺骸をなんとか採集した。

[地図1] 出発地ヤキル(緑のマップポインターの指す地点ダーウィンはここから西向きに谷に沿った (なお、"A"の印はGoogle Mapsの仕様によって自動的に付加されるもので記事とは無関係))..

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[地図2] ナビダド(Navidad; バルパライソまで110km程)..

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[日記原文]
19th
We took leave of Yaquil & followed the flat valley, formed like Quillota, in which the R. Tinderidica flows. — The climate even this little way South of St Jago is much damper: in consequence there were fine tracks of pasture ground which were not irrigated.

20th
We followed this vally till it expanded into a great plain which reaches from the sea to the mountains West of Rancagua. We shortly lost all trees & even bushes; the inhabitants are nearly as badly off for fire-wood as in the Pampas. Never having heard of these plains, I was quite astonished to meet with such a country in Chili. — These plains are traversed by numerous great valleys, & there is more than one set of plains, all of which plainly bespeaks the residence & retreat of the ocean. In the steep sides of these valleys, there are some large caves; one of which is celebrated as having been consecrated: Formerly the Indians must have buried their dead in it, as various remains have been found. — I felt during the day very unwell, & from this time to the end of October did not recover.

21st
Rode but a short distance & obliged to rest. —

22nd
Continued crossing green plains without a tree, which almost resembled the Pampas, till we arrived at the village of Navedad, South of the mouth of the R. Rapel. — We passed during the day immense flocks of sheep, which appear to thrive better than the cattle. — We found a rich Haciendero, who received us in his house close to the sea. —

23rd
I staid here the whole ensuing day, & although very unwell managed to collect many marine remains from beds of the tertiary formation of which these plains consist. —

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["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として何日分かずつまとめて次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (日記の冒頭部;前書き)

バナーの画像はビーグル号の人たちの1835年の測量で作成されたガラパゴス諸島の海図の一部


冒頭写真の出典 http://www.panoramio.com/photo/4747687
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