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ダーウィンの日記1834年12月6日と7日 [ダーウィンの日記(II)]

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ライテック島の海岸


ダーウィンの日記(チロエ; 東岸沿いにボートで南下)

[日記仮訳]

(1834年12月)6日[1831年12月27日に英国プリマスを出発してから2年11ヶ月と9日後]

ケイレンに着いた。ここは "キリスト教世界の涯て" と呼ばれている。 比較的ましに居住がなされている。

7日

朝に、ほんのわずかの時間だったが、ライレック[注]の北端にある家に立ち寄った。これが最南の家で、南アメリカのキリスト教世界の極限であって、それはみすぼらしいあばら屋だった。 緯度は大体で43度10分[*注]である。これはアメリカ大陸の大西洋岸のリオ・ネグロよりかなり南ということになる。
[注] ライレック(Laylec)と書いてあるが、ライテック(Laytec)のことと思われる。冒頭画像はライテック島の東岸。地図1参照。
[*注] 地図1におけるマップ・ポインターの緯度数値参照。


人々はみじめにも貧しく、常のようにわずかのタバコを乞っていた。 ここのインディアンの貧困を如実に物語る逸話を書き忘れていた; 数日前のことであるが、私たちはある男に出会ったのだが、彼は裸足で悪路の上を3日半かけて旅して来て、斧ひとつと若干の魚の対価を支払って、同じ距離を戻らねばならないのだった! そのような小さな債務を履行するためこのような煩労を必要とするとは、わずかな商品を購入する事の何と困難なことであろうか。

逆風でしかもかなりのうねりがあって苦闘したが、私たちは夕刻にサン・ペドロ島[注]にたどり着いた。ここはチロエの南東の端である。停泊地への岬をまわる際、スチュアートとアスボーンの両氏が一連の角度を測るために上陸した。
[注] 地図2参照。下の記事にも見えるように、ここでボートの隊(ダーウィンはその一員)とビーグル号とが合流する。

一頭のキツネ(チロエにいるもので希少)[注]が彼等[スチュアートとアスボーン両氏]の作業をあまりにも熱心に見つめていた。それで私はその背後にまわって地学用ハンマーで打ち倒すことが出来た。
[注] これは『ビーグル号の航海における動物学』(*)によれば Canis fulvipes 。下の画像2((*)に掲載のもの)参照。
(*) The Zoology of the Voyage of H.M.S.Beagle, Under the Command of Captain Fitzroy, R.N., during the years 1832 to 1836, published with the approval of The Lords Commissioners of Her Majesty's Treasury, edited and superintended by Charles Darwin, ESQ. M.A., F.R.S. SEC. G.S., Naturalist to the Expedition, partII, pp.12-13.

私たちはビーグル号が錨泊しているところを見いだした。船は前日到着していたのだが、悪天候のためチロエの外洋側の海岸[注]を測量する事は出来ていなかった。 いくつかの測量のもっとも特別の結果はこれまでチロエが30マイルも長く見られていた事が分かったという事で、ゆえに受け入れられている島の規模の4分の1だけ短縮せねばならないだろう。
[注] チロエ島の西側、つまり太平洋側の海岸。

[地図1] ライテック島..

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[地図2] サン・ペドロ島..

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[画像1] サン・ペドロ島..
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画像出典: http://www.panoramio.com/photo/8122067

[画像2] Canis fulvipes..
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これは上掲の書籍 The Zoology of the Voyage of H.M.S.Beagle .. に所収の画像で、つまりダーウィン承認のもの

[注釈] 次の文章はキャロライン・ダーウィン(姉)への手紙(1835年3月10~13日付け)の一部で、このチロエ島東岸のボート旅行のことを書いている部分です..

" 私たちは驚く程楽しいボートの旅をしました。これがそうした種類のクルーズの一番最後ものなのではないかということを恐れます。お姉さんはそのような漂泊の旅がどんなに楽しいものであるか想像出来ないでしょう。朝にはその夜どこに泊まることになるか分かりません。カタツムリのように家を運んでいて私たちは独立しています。日が暮れれば焚き火の周りに腰を下ろしてあなたたちのように住居に縛り付けられている人たち全てを憐れむのです。"

航海中のダーウィンがいわば漂泊の気分を好んだことは日記中にも随所に現れます。


[日記原文]
6th
Reached Caylen, called "el fin del Christianitad". It is rather better inhabited.

7th
In the morning we stopped for a few minutes at a house at the extreme North point of Isd of Laylec. This was the last house; the extreme point of S. American Christendom; & a miserable hovel it was. — The latitude is about 43° 10′, which is considerably to the South of the R. Negro on the Atlantic coast of America.
The people were miserably poor & as usual begged for a little tobacco. — I forgot to mention an anecdote which forcibly shows the poverty of these Indians; some days since, we met a man who had travelled 3 & ½ days on foot, on bad roads, & had the same distance to return to recover the value of an axe & a few fish! How difficult it must be to buy the smallest article, where such trouble is taken to recover so small a debt. —

We had a foul wind & a good deal of swell to struggle with, but we reached the Island of S. Pedro, the SE extremity of Chiloe, in the evening. When doubling the point of the harbor, Mrs Stuart & Usborne landed to take a round of angles. —
A fox (of Chiloe, a rare animal) sat on the point & was so absorbed in watching their mænœvres, that he allowed me to walk behind him & actually kill him with my geological hammer.

We found the Beagle at anchor, she had arrived the day before & from bad weather had not been able to survey the outer coast of Chiloe. — The most singular result of the observations is that Chiloe is made 30 miles too long, hence it will be necessary to shorten the island; ¼ of its received size. —

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["ダーウィンの日記(II)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.

ダーウィンの日記の1831年10月24日から1832年9月14日までの分はアーカイヴ的に"ダーウィンの日記(I)"として何日分かずつまとめて次のところにあります..
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/ (トップページ;すなわち1832年9月14日分)
http://saltyfumi.blog.so-net.ne.jp/1831--12-16_0 (日記の冒頭部;前書き)

バナーの画像はビーグル号の人たちの1835年の測量で作成されたガラパゴス諸島の海図の一部

冒頭画像の出典:http://www.panoramio.com/photo/9979888
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アマデウス

"el fin del Christianitad"は西語で正確には”El fin de la Cristiandad" ですが、こういう些細なことも見つけながら楽しく
読ませて頂いております。
by アマデウス (2009-03-31 06:14) 

さとふみ

これは日記ですので、英語のほうにもミススペリングが多いですよ。地名の綴りが違っていると探すのに一苦労です。
ダーウィンは土地の人を案内に雇って言葉としてはスペイン語だけを用いて旅行をすることがあるので、コミュニケーションはとれているのは確かですが、書いたのを見ると文法的にはそうは書かないという場合がありますね。
by さとふみ (2009-03-31 06:20) 

アマデウス

地名の綴りが間違っている場合のご苦労の程お察しします。読ませて頂く方はGoogle Mapで一目瞭然、現在位置もはっきり把握出来楽しさ倍増なのですが。。。
by アマデウス (2009-03-31 06:32) 

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